知覧に来たら、やっぱり知覧特攻平和会館を
避けて通るわけにはいきません。
目を背けたくなるような、
悲惨な歴史を追体験する場ではありますが、
やっぱり、日本人として
過去のあやまちと尊い犠牲が払われたことにつて
きちんと知っておくべきではないかな、と。。
建物外観の写真は撮り忘れてしまいました。
(緊張していたのかも)
中の展示室も写真撮影禁止だったと思います。
もし撮影可能だったとしても、
遺品や遺書などが多く並べられ、
気安く写真にはとれないなと思いました。
特攻という、爆弾を積んだ飛行機もろとも
敵の戦艦に体当たりするという
狂気の沙汰としか思えない戦い方が
実際に行われていたという事実を
今に伝える品々や写真を目の当たりにすると
そのむごさに本当に心が痛くなりました。
しかも、特攻で命を落としたのは、
優秀で祖国と家族を思いやる
優しい心を持った
まだ若い青年たちだったんですね。
そんな尊い命を軽々しく扱う
戦い方をした日本陸軍に対して
怒りがこみ上げてきて、
ハラワタ煮えくりかえってしまいました。
さて、気を取り直して
奥の方の展示室に行くと、
四式戦闘機「疾風(はやて)」の
実物が展示されていました。
当時、3,500機作られた四式戦闘機の中で、
唯一残っている機体で、
フィリピン戦で使われていたそうです。
結構、良い保存状態なのだとか。
全長10メートル、小型ですが、
時速600キロも出たとのこと。
戦争の道具としてではなく、
鳥のように空を飛ぶことを
楽しむ道具として使うことができたら、
飛行機も人も幸せだろうなあと思いました。
操縦席に乗り込む際の足掛かり。
上の丸いボタンを押すと
ピッと飛び出してくる仕組みになっていました。
車輪の横には、爆弾。
車輪の格納場所。
プロペラ4枚。
戦争の道具としてではなく、
デザインだけを見ると、
丸くて可愛い形の小型飛行機に、
少々心が明るくなりました。
現在の私たちの平和な生活は、
多くの犠牲の上に成り立っているのだ
ということを改めて実感し、
志半ばで戦禍に倒れた人々への
感謝を胸に深く刻みました。
日本は戦後、人々の努力と苦労のおかげで
素晴らしい復興を遂げ、
今の平和な暮らしがあるわけですが、
特攻で命を落とした優秀で
心優しい青年たちが、
もし命を落とす必要がなく、
戦後に生きていたら、
今頃はもっと素晴らしい
日本になっていたのではないか
とも思いました。
知覧特攻平和会館は、
つらかったけれど、
行って良かったです。
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